人生反省

初めまして、1967年2月3日生まれ現在55歳

 

生まれは、北海道釧路生まれで、高校まで、釧路から出たことが、ありません

家族は、父は、歯科医院を経営、母は、元高校の教師 

長男は、僕 長女は、妹

父の趣味ラジコン飛行機・母、お茶の先生・輪島塗の色々集める事

父の実家は、医者家系、母の実家は、船本と言い、大きな船持っている家柄

親戚からは、小さいころから、医者になる事言われて育ちました

3歳から8歳まで、お寺に預けられ、育ち、そのあとは、実家に帰り

過ごしていました

どうして、お寺で、過ごしたか、それは、幼稚園の屋根で遊んだからです

幼稚園を辞めることになりカトリック幼稚園に通う事になりましたが

両親は、家にいる、自分が、恥ずかしい、世間の目が気になったのか

お寺に、預けられました

 

世間体を気にする家柄です

 

 

小学生の5年の時の話、自分は、それまで、銭湯というものに、

入った事ありませんでした。家を建て替えるので、新築出来るまで

マンション生活を家族で引っ越しました

マンションのお風呂は、それまで、住んでいたお風呂より狭くて

そう、友達に話していた所、銭湯を進められ

友達は、銭湯に通ってるそうで、楽しいとのこと

早速、友達と待ち合わせをして、銭湯に通い始めたのです

その友達は、柔道をしてるから、一緒に行かないか?

柔道を習い始め、通う事になり、銭湯も一緒に行くようになった

冬、ある日の事、その18時過ぎたころ、いつもの用に

銭湯に入ると、同じクラスの、同級生2人と会いました

何やら、窓ガラスの淵に、水滴(結露)が、氷になり、綺麗に

はがれると、何やら、大きいの取れたと、競争になりました

窓ガラスの、角を、コンコンとはがしてると、

ビン~何か、音がした、ビンビ~~

その、瞬間、湯舟に向かって、ガラスが降ってきたと思うと

湯舟が真っ赤に染まり、ギャ~と叫び声

友達は、体に大きな傷、僕は、右腕、右手に、ガラスが刺さり

自分で抜いたのですが、傷口から、白いひも状の物が、はっきり

見え、その場で、倒れた

救急車が来る前に、父が、来たらしく、歯科で使う、糸で

傷口を縫っていたので、気が付いたのです

救急車が来て、病院に運ばれ、入院となりました

傷口は、骨で、ガラスが止まっていたとの事でした

友達の事心配になり聞きましたが、答えてくれません

退院後知ったのですが、亡くなったと聞かされました

僕の腕の傷は、55歳になっても、ケロイドとして、現在も

はっきり、残っています

傷口見ると、思い出すので、出来るだけ見ないように、

気にしないように、しています

後悔しました、氷を取らなければ・・

反省しても、友達は帰ってきません

 

中学に入り、喧嘩多かったような、感じで、過ごした

松野さん(女性)クラスのマドンナでした

松野さんが、初恋で、声もかけられない

ある日、松野さんと友達とで、僕の家に来ました

声出せなくて、顔が、ひきつった様な

真顔なのか、何とも言えない顔したと思う

何も言えなく、その日は、帰っていきました

その後、何度も、話せる機会あったのに

話せない自分です

そんな、2年のころの話

両親、親戚から、今後将来どうするの

と聞かれ、親戚からは、もちろん

医療関係だよね

医者だよねとか言われ

嫌気が、そこで、医者になりたくない

勉強嫌いだと言って、逃げました

怖かったんです、大学入れなかっら、入ったとして、医師免許

取れなかったら、怖さと不安と自信がない

電気の道を進むと言った事を思い出します

唯一の逃げ道だったのです

その日以来、毎日、魚釣りに行くようになり

学校が終わると、釣竿をチャリ(自転車)に縛り付けて

岸壁まで、行き、釣りをする毎日です

 

3年になり

高校受験の話が、周りで騒ぎ初めて

進路を責められました

 

勉強もろくにしてなくて、工業高校の電気科受験したのですが

落ちてしまい、私立高校受かりました

妹は、頭が良く、中学は、僕とは違う中学に通う事に

僕の高校生活は、何も面白いこと無かった

僕が、3年生になり、妹が、今度は、受験、釧路でも頭が良いとされる

湖陵高校理数科(こりょうこうこう)に、見事に合格

両親、親戚は、妹に、後継ぎ期待している

僕はと言うと、無視されてきた

本当は、高校卒業したら、働きたいと思っていたのだけど

世間体を気にしてる両親は、誰も知らない、関東の大学を

受験してと言っていた

今の成績なら、日本歯科大学なら、学校で推薦出来る、高校では言っていたが

断って、工学院大学を受験した、落ちると思ってね

落ちたら、そのまま、高卒で、東京で働こうと思っていたのだが

受かってしまった

 

大学の一年~4年

親の仕送り額、寮、学費は、すべて、親が払ってくれて

その他、毎月10万を送ってくれた

友達に誘われ、パチンコを覚えたのが

悪かった、初めてパチンコの台に座ると500円入れて、

ハンドルを回した。そんなこと、繰り返していた時

3千円をいつの間にか、入れていた

数字が、333そろった、ドキドキして

どんどん、球が出て来る

終わったと思い、回していると

又数字が、そろったみるみる

箱が重ねって、10箱が

僕の後ろに重なっていった

景品を、現金にした時

驚いたよ、8万円になっていた

3千円が、8万こんなに、儲かるものなのか

狂ったように、パチンカスの出来上がりだ

親からの仕送りをパチンコ

バイトを始めた、

居酒屋でバイトを始め、

バイト代で生活費に使って毎日

大学のレポートは、友達に

頼んで、コピーの連続

2年生になっても変わらない生活

そんな、ある日、新宿の大久保公園

をブラブラ歩いていた時

若い(見た目女子高生)が、近寄ってきて

1万円で、良いことしないか?

持ちかけられて、そのまま、

ホテルに行き、童貞卒業できた

落ちぶれていく自分が

嫌になる、そこで、

学校友達を何人か、集まって、自分の話を

ぶちまけ、なんとか、勉強に集中できるようになったのが

大学2年の話

パチンコは、相変わらず、2~3万円は打っていたけどね

 

3年に無事なれた

そのころ、バイト先の女子高生に、

声をかけ、様はナンパだ

付き合うようになり

毎日楽しかったが、半年も続かないものだ

夏になり、友達と湘南の海遊びに行き

女子高生とは、その頃には、会ってなくて

同級生、男3人と、3人の内一人、前田の彼女と

4人で、海で遊んだ

帰って来て、その日に、女子高生から、

好きな男性が、出来たので、別れて欲しい

切り出され、僕は、別れと、バイトもやめた

夏休みに入り車の教習所に通っていたが、教官に叱られ

教官を殴ってしまった

それが、実家にばれて、

北海道の実家帰る事になって

母の教え子の教習所通って、無事教習所卒業できた

そこで、同じ教習所に通っていた、

2歳下の久美と知り合う

 

大学の4年は、後は、平凡にすごして、

卒業まで、これと言って、何もない

 

卒業後

就職したのが、TVアンテナの大手会社に就職

バブル時代

僕は、東京、久美は釧路と

遠距離恋愛、久美は水産加工場で働いていた

久美は、美人ではない

僕22歳、久美20歳

ある日、アンテナ会社の飲み会

事業部と、会計部署が、となりの席にすわり

可愛い女性と話をしていると

楽しい、彼女は、美紀(26歳)

美紀は、3次会行かないで、二人で話したいと

僕を誘って、カクテルバーに案内された

色々愚痴を聞き、僕は、答えること出来なくて

うなずくばかり、美紀は、聞いてくれてありがとう

と言うと、涙をみせた、思わず美紀の肩を抱きしめて

明日から笑顔出来ると聞いてみた

美紀は彼氏は、いないと話していたので

僕は正直、久美の話が、出来なくて

その日から、付き合う事になった

仕事初めて、1年がたち、出張も多くなって、

出張も3か月とか、長く、美紀とは、ポケベルが

毎日、鳴るのを楽しみに、仕事していた

横浜のホテルが、建てられる、そこで、

近隣の家、マンションのTV影響があることから

CATVケーブルTVの話が持ち上り

同業会社で、何処の会社が、受け持つか、

話し合いが、始まった、いわゆる、談合だ

初めて、談合って言うものを経験したのだ

結論から、言うと、弊社が、受け持つ事になった

下請け、6社、同業者3社で、始まった工事

やりがいも、あって、楽しかった

まもなく、名古屋に支社を作る話があって

僕が、行くことになる予定でした

美紀に話すと、寂しくなるけど

頑張ってと言ってくれた

でも、問題は、横浜のホテル工事の

下請けだ、飲みに連れていく、僕はお金がない

会社の経費使う、架空請求を先輩から

教えてもらった、飲み屋の領収書には、名前は載ってる、しかし

金額が書いてない 自分で金額書いて会社に提出

何回もしてると、睨まれる、会計の美紀が、OKだしてくれる

美紀に夜、話があるから、呼ばれ話をした

架空請求多くないかと、言われ、仕方なく、全部話をした

まさか、マージンもらってないよね!美紀に言われ、

責められた、課長も僕も貰ってると話した

美紀は泣きそうな顔して、怒ってる

悪いことしてると、自覚あるの?

聞かれても、分かってるとしか、言いようがなくて

名古屋言っても同じ事するの?

出来たら、マージンは、もらわない

 

それから、間もなく、ホテルも行かないで、別れ、一人家に帰った事

思い出します

2週間がたち、名古屋に、研修で行きました

研修というのは、言葉だけで、工事の担当です

図面書いて、着工を下請けが工事をする

ところが、下請けが、来なくなった

電話すると、忙しいだの、他の仕事入ってるだの

一向に工事が、進まない、仕方ないから、下請けを探して

させたが、住宅から、クレームがきた

電柱では無いけど、銀色の長さ、5mのポールの場所違うとの話だ

住宅の主人が、怒り奮闘、それだけじゃない、5件のクレーム

慌てて、下請けに電話する、出てくれない

本社からは、すぐ戻ってこいと叱られ、損害いくらだと思う

と言われ、だた、ポールを移せば良いだけだと

簡単に思っていた、僕が悪かった

歩道の掘り起こし、それに、車道と歩道の提出場所全然違い

例えば、車道が県道、歩道だと市道とか、別れてる

住宅の歩道を掘っていて、車道の、基礎とぶつかったので、ポール

の場所変えたと下請けは、言っていた

変えるなら、事前に話を聞きたかった

しかも、塀に、大きな傷つけてしまってる

本社に呼ばれ、怒られた、胃が痛い

トイレ行った、吐血した

病院に行き、検査、胃潰瘍(いかいよう)

二つ胃潰瘍が、見つかった、一つは、十円だまの胃潰瘍

 

入院だねと言われ、そのまま、入院となった

本社の課長と係長、先輩が、お見舞いに来てくれた

その時は、来てくれたと安心したけど

カーテンを閉めて、お大事にと言われた時に、小声が聞こえた

もう、あいつ、使えないな!名古屋も行けないだろ

・・・・・・

退院した後、会社で、噂になっていた、バックマージンの事、

美紀を使って、架空請求の事、

僕だけじゃないのに・・

先輩が、話があると、呼ばれ、喧嘩になり、暴れた

課長から、首にはしない、自主退職してくれと言われ

2年5か月会社を辞めた

それから

親友のアパートに住み

アルバイトをしていたのだけど

お金も出来て、一回実家に帰る事にした

両親は、恥だから、東京にいるように、言われたが

飛行機のチケットを買っているので、家に帰ると

家には、置手紙、17時には、買える、外に遊びに行ってる猫が帰って来ないから

探してと書いた手紙、探したが猫、見つからない

18時過ぎても帰って来ない両親

電話が鳴った、

親戚からだった内容は

両親は、父が運転、助手席に母

摩周湖(うらましゅうこ)展望台に行く途中

真横から、トラックと衝突して、母が亡くなった

と伝えられた。

父は無事なのかと聞くと、無事だけど

精神がと言っていた

その後は、何を話したか、覚えてない

母の遺体と、父は20時頃、帰って来た

葬式には、歯科医院の父の同期が来ていて

そこで、話をした

お父さん、あのままだと、自殺するかもしれない

何か月か、様子みてくれないかと

何もかも終わって、父は口を開いた

お母さん殺してしまったと

違う事故だから仕方ないんだよ

もう、歯医者は、したくない、電気屋、何でもいい

別な仕事したいと言って父はつぶやいた

僕は、父に無理だよ、歯医者しかしたことない、お父さんは

人に使われる出来ないよ

今は、休業して、ゆっくりしてと伝えると、父は、泣き出した

トイレ行くのも、お風呂入るのも、どこ行くにいても

ついて回った

 

3か月が過ぎて、やっとやる気出したのか、病院を開けると言っていた

僕も、仕事探さないと、ハローワークに通い始める

その頃は、画面がなく、雑誌のような感じで、仕事資料が

種目べつに、置かれてる

電気にしようか、家電にしようか、迷っていた時

新聞を広げてみてる人が、突然話して来た

仕事探してるの?なんの仕事探してるの?

ハローワークに仕事探す以外、なんの用事が、有るのだろう

と思い、ええ、電気関係の仕事探しています

答えると、いい仕事あるんだよ

茶店でも行かないかと誘われ、ついて行くと

自衛官らしい、服装、コスプレ?まさか

その、男性は、アンケート書いてと言われたので、

しかなく、書きました

その日は、それで、帰りました

忘れた頃、突然、自衛官が、家に来て、お父さんいますか、と尋ねてきた

いますよ、お母さんは、聞かれたので、亡くなってます

お父さんさんと、君とで、話があると

父は病院で、仕事してるので、何時に終わりますか、17時には、戻っってきます

また来ますと言うと、17時ぴったり、家に来ました

父と、僕と自衛官三人で、話をしていたのですが

父は自衛官嫌いなので、帰ってくれの、一点張り、

その日は、自衛官は帰りました

それから、数日後、3人の、勲章沢山つけている、自衛官が、家に来ました

粘る事、3時間話し合いの結果、父が、僕に、諦めた、お前も覚悟しろと

言われた

それから、7月隊員として、自衛官になりました

幹部候補生試験を受けて、幹部になりました

年齢24歳~34歳まで、教習所で知り合った、久美とその時に結婚しました

子供は、鈴奈(れな)と言います

自衛官時代の話は、ここでは、話出来ない事ばかりです

機密保持の為、公にできないので、ご了承ください

自衛官になって、3教練、教育隊で訓練3ヶ月

戦車部隊に、入るが、自分と剃り合わなく、

施設部隊、早く言えば土木工事部隊に、移動となった

岩見沢駐屯地で、訓練をして、部隊に所属した

幹部候補生から、何年かして、正式に幹部となったが、

公に出来ないことばかり、理不尽だ

嫌になる毎日、4月に除隊した。

 

就職、紹介もあって、ゴルフ場のコース課(ゴルフ場の整備員)となり

働いた、でも車が壊れ、借金した

久美の両親にたのんで、子供(鈴奈)を預けながら、働いてくれた

けど、家事が出来てない事を理由に、僕は、一度きりの女性と、

関係をもってしまった、久美に謝った、だんだん

家庭が、崩壊していく、油を使った料理、なんだろうか、カステーブルから火が

立ち上り、久美はTVに夢中、仕事終わって、家に入るなり、慌てて消した

危なく火事になるところでした。

 

しばらくして、離婚を決断したのです。そして離婚

親戚、久美の兄弟、から、逃げるように、東京(江東区)に行き

友達が、親方をしてる、重量飛びの仕事をし

その中で、エレベーター、エスカレーターの取り付けの

配線を任せてもらいました

その時、家で少女、百合子とテレクラで知り合った

アパート暮らしを始めたが、百合子の友達チアキ(女性)

が、良く遊びに来るようになったのです

所が、仕事は、毎日あるわけじゃない

休みも多くなり、社長から、仕事あったら、教えるからと言われ

アパートの家賃払えずに、出ることになった

 

このままだとダメだ

何かいい方法が、有るはずだ、ネットもない時代、探すのが困難

困り果て居ていたのですが、神奈川県川崎 

東芝関連の家電製品を解体する

仕事を見つけて、社員で、仕事にありつけ

百合子は、何処に行ってるか分からないが、

連絡は来るから安心していた

その会社のアパートに入り、寝る場所と食事が出来る場所確保できました

3年が過ぎ、ようやく、安心できると思っていたのですが

同じ仕事同じ時間に、アルバイトの方が、手取り額違うことに

腹をたて、工場長と言い争いになった

アルバイトにしてくれとね 今考えると、社員で良かったのにと後悔してる

アルバイトになった僕は、社員から、いじめられ居場所を無くしたわけです

会社も居れなくなり、辞める事になります

当然寮も出されるわけです。

 

とうとう、居場所も住むところもなく、始めは、カプセルホテル、マンガ喫茶

ネットカフェで、寝泊りしていました

お金もなくなり、余儀なく、路上生活で、段ボールで寝泊りしていました

食事は何とか食べる事できましたが、仕方ないです

2週間が過ぎ、夜悩んでると、隣に来た、同じ段ボール仲間

吉田さん(年齢不詳)が、タバコくれといってきたのです

タバコを3本渡すと、色々聞いてくるのですが、無視していました

次の日の夜の事、なー兄ちゃん、いい話有るけど、と言って

語り始めました、河川敷で、ブルーハウス(工事現場とかで使う青シート)

2万~3万で、作ってくれる人がいる事を淡々と話してきます

その河川敷には、先生と呼ばれている人が一番偉いとか

その話が、終わるか終わらないかで、にーちゃんビール買ってくれない

アサヒスーパードライが良いなと言ってきたので、一緒に買いに行きました

一本買うんだろうな~と思っていた所、6本ケースを、大事そうに抱えて

ローソンのレジに持ってきたと思うと、レジの横にある、揚げ物をチョイス

目をつぶって、お金払いました

次の日、吉田さんと一緒に河川敷に行き、先生と対面、目はぎょろっとしてる人

で、お酒と、唐揚げを渡し、ブルハウス2軒分のお金を、建てる人に払いました

二日で建てるからと言われ、出来上がった小屋に、

ようやく、寝る事出来ると思いました

吉田さんの小屋と自分の小屋、カと、虫が多くて、蚊取り線香を用意しました

そのうち、アルバイトを見つけ、週2~3回の仕事で、粗大ごみの回収

ベルトコンベヤーのしゅわけ作業です。

疲れて帰ってくると、寝るだけの小屋です

吉田さんは、毎回僕に、ビールを買わせる毎日

それでも、少しお金がたまり、3万円の中古発電機を買うことが出来ました

発電機に自分で配線した、自部の小屋と吉田さんの部屋

夜は、こうこうと明るい小屋に変身しました。

吉田さんとは、良く、銭湯に行きます、服を買い、風呂上がりの、一杯

吉田さんは、3杯かな、ある日、仕事から帰ってきて、僕の小屋が、騒がしい

何してるかと、入ってみたら、宴会していました

5人いたので、吉川さんを呼びつけ、話を聞きます

お金どうしたの?なんであんなに、お酒あるの?

まさか、お金見つかったと思って、小屋に入り貯めていた、箱を開けると

4万円が、1万円になっていた、置いとく僕が悪いと思っていたけど

吉田さん使ったの?聞くと、うなずいた

そこに、先生登場、やってるね~吉田は、笑顔でビールを差し出す

その夜は、悔しいやら、情けないやら、泣けてきました

そんなことも、色々ありすぎて、書けないぐらいです

3年が過ぎて、ある秋の話、悩んでいました、実は、同級生が探して来たんです

話をしました、今の生活じゃないって、言われました

とうとう、小屋にいて悩むより、外の方がいいと思い川崎を歩き始めました

当初は、川崎市役所の近くに、中華屋があって、その向かいに、電話ボックスがあり

その電話の上にカード入れが、有りました。交番に届けると、カバンはどうした?

知りませんよ

詳しくは、警察署で聞くよと言われ、知能犯の刑事に色々聞かれましたが

答えようがありません、留置場に入り、検事のもとえ、検事にさんざん聞かれ

結局10日こう留で、出てこれたのですが、刑事は、疑って悪かったね

仕事紹介するよと石油コンビナートを紹介してくれて、仕事にありつけました

寮に入り、暮らせた日々です

ブルーハウス3年暮らしました

続く